甲本ヒロト編3
下北沢
書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街
by リクルート住まいカンパニー追記・・・
1987年の野音について。もちろん見たさ。その時はつい最近野音で事故があったことは知らずに浮かれてた。会場について知ったさ。
自分の初ライブがラフィンだっただけにショックすぎて悲しくなった。その日のライブは最高だったんだと思う。自分は・・・とても悲しくなってしまったのだった。苦い思い出。
上京するうえで、住むところを決める際、当時ぞっこんだったブルーハーツのヒロトが下北に住んでいるといった情報がありもちろん下北沢を選ぶ。もはや学校の場所など考えていないあたりが子供すぎて笑う。
何の情報か分からないけど、風呂なしの共同便所で生活をしていたとの情報←どこ情報?(+_+)で、人生を狂わせた憧れの人と同じルーツを辿らねばと(完全にあほ)3畳一間のアパートで風呂なし共同便所の部屋を借りた。ひいいいいい
昭和の古い家の一室だった。
学業とアパートの往復は乗り換えもあってちと大変だったが下北沢は田舎者には温かい街だった気がする。
バイトも掛け持ちでしていた。一時期下北沢の南口にあるロフトという小さなライブハウスでバイトしたんだけど学生でバイト2つ掛け持ちがつらかった。というのも大学は落ちて専門学校に入ったから。不思議なのは自分が演奏の側に興味がなかったことだった。どちらかというと音の遊びをしたかった、ミキサーをいじりたかった。
専門学校は2年で終了でハード、しかも国家試験も控えていたので少しの間しか出来なかった。
田舎者だったので普通にテレビに出ているミュージシャンが飲みに来ることが多々あって1人でテンション高めでしたが、スタッフは普通に気にもせず仕事していて(当たり前だ)「これが都会の人なんだ」なんて思ったりした。
その時のオーナーが、(今も同じなのかは謎?)ブルㇵのヒロトとも仲がいいよ~と言っていて、ついに甲本さん(←え?)もご来店。何回か来ていたけれど、もう頭まっしろ。スタッフだから余計な話もできず、ひたすら普通にビールとかポップコーンとか持って行っていた。
その時のヒロト(呼び捨てでごめんなさい(;^_^A)はそれはもう有名になりすぎていてわたくし硬直・・・・・・
細く、シャープで、堀が深くて、外人さんみたいな、まるで宝石箱や~・・・
いやいや、典型的なバンドマン、みんなが憧れるバンドマンだった。
なのに、ものすごく自然体でライブとは違って物腰柔らかそうな明るい普通のおにいさんだったわ(´ー`*)ウンウン。ストリートスライダーズの土屋さんと居た気がする。もう遠い記憶なので違っているかも。
とにかく、とても魅力的な人でしたよ。感涙。
「この人がわたくしに、3畳一間に住まわせた根源の人」
お嬢学校だったので、だれも家に呼べなかったけど(トイレも風呂もないし3畳で窓もほぼないところだったので・・・)
銭湯にも行けたし何よりレコード屋が多かったし、服も安いし、商店街も温かかった。ただし、忙しすぎてライブに行くことが少なくなっていた。だんだんとしたいことが出来ない状況になってきていた。
そんなこんなで卒業を迎え、世の中を舐めたまんまで20歳に突入。立派なDHになったわけですが・・・・・(ちゃんと風呂付のところに引っ越した)
やりたくもない仕事、ちゃんと考えなかった将来、とりあえず東京に行く手段としての学校、、、、いい加減な自分、、、、、、、
当時の私は仕事が苦痛で、2年目で3か所ほど転々として
本当にやりたいこと、24時間考えるようになって、
ご飯もあまり食べなくなって
ライブも行かなくなって
仕事を休んだりすることが多くなって
食べていないから倒れたりすることもあって
目も見えなくなってきていて
無性に涙が出て・・・・・・・・
人と会いたくなくなり、信用する友人もいなく、でもさみしくて孤独で
恋愛も不器用でうまく付き合えず
「自分には全く価値がない」
と思うようになっていたのです。気づいたら本当にやばい状態になっていました。
続く。